ニューヨークとハワイで退職代行
ニューヨークとハワイでの退職代行
母体は、留学を経てからインターンシップ、直接就職、ボランティア施設入団など多岐にわたり手配します。
出国➡英語を勉強➡就職➡退職➡帰国という流れです。
企業研修と呼ばれるインターンシップでは、アメリカの場合Jビザで渡米。半年から1年程、現地の会社で働く経験を得ることができ、かつ給料がもらえます。この期間の入社から退職までの一切をコンサルティングするサービスです。
まだ日本にいるときに、電話インタビューだけを行い、会社との面談がないまま直接現地で就職します。
社長や上司と一度も会ったこともないため、会社がどいうところかもわからない。
しかも、お互いに相手の性格がわからない。
文化の違いも加わり問題が発生したりします。仕事をする前に「人間関係」でトラブルが発生。
★従業員たった4名のハワイ州ホノルル印刷企業★
女性Aさんは、デスクトップ・パブリッシングを極めたく、会社に勤めながら専門学校に通っていました。
英語がかなりできる方なので、技術をある程度習得して海外で就職できると踏んでいました。
ホノルルでの受け入れ先も決まり、アメリカ大使館よりJビザも発給されていよいよハワイへ出発しました。
Aさんは希望が叶い、ホノルルダウンタウンにある印刷会社で働き始めたのですが、就業先である女の社長さんと、Aさんの馬が合わない。
勤務開始から1週間ほど経つころ、Aさんは社長から無視されるようになった。仕事はDTPを指示通り作っていた。
しかし、今後はなるべく自宅で作業して欲しいと言われ、段々会社に居づらくなり...
Aさんは食事も喉を通らなくなり、かなり思い詰めていました。
やがて一時帰国し日本事務所に訪ねてきた。
担当カウンセラーが「Aさん、大丈夫ですか?」と尋ねると...
「20kg痩せました。仕事は今まで通り続けたいのですが...。」
話を聞いていくうちに、どうやら少々パワハラを受けている様子。
ホノルル駐在員の状況判断では、お互い性格の不一致ではと。
特に小さい会社や小さい部署に配属されたとき「馬が合わない」「仲良くできない」など、
狭い空間で働く環境として、その難しさからこのようなトラブルが生じます。
お互いに言った・言ってないの展開になり、お互いの言い分がまったく異なりました。
ホノルル駐在員が間に入っても、互いに前向きな方向に進まず解決困難とのこと。社員数が少ない零細企業でしたので、こうなった経緯もよく把握できず、関係者聴取も確認できずに難航する日が経過していきました。
最終結果、お互い一緒に働くことが難しいと判断。残念ながら退職となりました。
※このケースは見えない現場で起きている重要問題とマークしました。DTPの業務ができないわけではない。結局は人間関係、零細企業は事前に社長面談も必須と、現在グループ組織内で要件に取り入れています。
★ニューヨーク州マンハッタン大手新聞社★
女性Bさんも英語はかなりできる人でした。
日本でも外資に近い会社で働いていましたので、ニューヨークに突然就職しても活躍できると目に見えて判断できる程です。
企業リサーチ前からとても向上心の高く、新聞社の電話インタビューを余裕で通過し、Jビザを取得しました。
元々、仕事のできる方なので現在のポジションも相当ですし、転職をしながら伸びていくのがありありとわかる活気のある女性です。
日本出国から3か月を過ぎたころ、新聞社での校正業務は順調と報告メールが届きました。
とても順調に過ごしていると伺え安心していました。
その後しばらく音沙汰がなかったが、ある日「もうここは私のいるところではない」「もっと他の会社で自分をスキルアップしたい」と、突然退職したいと電話がきた。
何か会社に問題があったわけではありません。
逆にニューヨークの新聞社である上司から、高評価のアセスメントも通知されていたのにです。
ここまで順調であり、ビザも発給されている。新聞社からも多大な評価があるのにもったいない話だなと思いました。
Jビザは企業設定変更が難しいため、選定先企業を4か月程の期間で早めに切り上げ退職する結果となったのです。
高校の日本語教師を兼任しているニューヨーク駐在員に状況を聞くと「彼女は強いから大丈夫よ。どこに行ってもやっていける」と安心する報告ではありました。
今回は自分から見切りをつけた成功事例です。Bさんの今後の活躍を願うと共に、次回の成功報告を待ちたいと思います。